映画「アウトレイジ」シリーズを見て怒りに繋がる。下巻 最終章を観て

  • 2020年2月21日
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前々回、前回に引き続き、

映画、アウトレイジシリーズ 最終章の感想です。

最終章なので、
私の感想もそれなりに書こうと思っていましたが、
映画の内容としては、
登場人物やストーリーは若干変わっても、

エッセンスがずーっと変わらないのです。

恫喝、暴力、金、権力、罪、罰、女・・・・。

感動的なシーンがあるかと言われると、
正直言いまして、ほぼ無いです。。(;゚ロ゚)

 

唯一の北野武演じる割と良い面を持っているヤクザもかなり悪い。
理由無く殺すし、身内との約束も簡単に反故にしてしまいます。

生き方が刹那的で一貫性というか、信念みたいなものが感じられないのです。

映画のシリーズ通して信念があるとしたら、義理でしょうか。

兄貴分からの頼みごとや、弟分を殺された仕返しなどはリスクを恐れずきっちり行います。

映画にドラマ的な変化があれば、なにか書きようもありますが、これには困りました。

 

シリーズの最初から、

神様が映画を見て感想を書きなさいとおっしゃる、

その意図を考えたりしながら
見ていたのですが、それは何なのか?

 

アウトレイジ 1 では全く気づかなかったのですが、

ようやく理解したきっかけがあったのです。

 

 

先日、あるお世話になっているメンターのメルマガをきっかけに、

田坂 広志さんと日経の編集者との対談を書いたウェブページが目に飛び込んできました。

 

それにはこのように書いてありました。

「経営者として大成する人間は、悪いことができて、悪いことをしない人間だ」

これはまさに私の探していた答えのような言葉でした。

 

この対談は、『人は、誰もが「多重人格」』 誰も語らなかった「才能開花の技法」

という本の発刊をきっかけにした語り口になっているのですが、

人間としての成長と成熟のためには、

「自分は善人だ」という自己幻想を抱いて生きるのではなく、

自分の中の「悪の部分」を認識すること。

だそうです。

つまり、自分の中の悪を見つめなさいということなのです。

 

僕は根は真面目な方だと思っています。堅いと言われるくらいに。

それこそ、自分の悪にふたをするのに都合の良い思考なんだなあとわかってきました。

 

『自分が良い人で、真面目で、社会の枠組みを踏み外さない人間だ。』

 

こういう思考で自分に思い込みを作ることで、

実際、行使することは無いけど、
悪い想念のあるところを認めていないところが有るのだなあと、

他のいろいろな過程を経てわかってきたのです。

 

 

実際アウトレイジのシーンでは

お金にまつわることが多く出てきます。
僕もお金は実際に大好きです。
たくさん持っているに越したことはありません。

もしリスクが無くて大金が手に入るチャンスがあったら
きっと前のめりになり、
お金の亡者になるかもしれません。

 

また、映画に出てくる権力や自己利益に関しては、
周囲のことを自分の都合良くコントロールしたい、
得をしたい思いがあります。

サラリーマン時代には部下も数人いて、
口うるさい怖い先輩みたいに思われていましたし、
今も社内的には、よく口を挟む役回りをやっていることが多いです。
でも暴力団のような組織の運営は絶対できないと思いますが。

 

そして暴力

前回のアウトレイジ ビヨンドの感想で述べたとおり、

自分の中からでてきた怒りについては、

今は表現方法を考えて出していると思いますが、
過去、家族やパートナーに向かって
怒りを爆発させたことは何度もあります。

手に負えないような気持ちにさせたこともあったでしょう。

 

癒しの道に入ったときにそれに気づいて、
大変申し訳なく思ったので、

怒りを相手にそのままぶつけるのではなくて、
自分で処理できるようになりました。

しかしまだ怒りに関してはかなり持っているようです。

 

相手への怒りは、同時に自分への断罪も
やっていることに気づきました。
ちょっとした失敗やうまくいかない無力感などで感じる自分への怒り。
一度自分に向けた刃を相手に向けて感じないようにする癖はまだまだあります。。。

 

きっと映画の登場人物たちは、
このように感じていたのでは無いでしょうか。

 

「俺が悪い、責任を負いたくない。
でもそれを感じさせるのはお前が原因だから、
この怒りは当然だ。お前が悪いのだから。」

 

 

私の父は、私の幼少期の頃は家庭で結構切れやすかったのです。
私は、父をとても怖ーい存在に思っていて、父を嫌っていました。
映画のシーンにあふれる暴力的表現や暴言を見ていると、
つい小さい頃の心の傷と結びつけて避けたくなるのです。

 

そして自分の怒りを嫌うあまりに、

自分の怒りや感情そのものについて、
無視したり抑圧したりする癖がついていました。

自分の感情とつながっていなかったのです。

 

以上のように
自分の中の悪や怒りについて、

もっと深いところを見つけて手放す必要がありそうです。

今後も自分の悪や怒りの存在に気づいて、認めていきたいと思いました。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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