『錬金術 仙術と科学の間』吉田光邦1(リマ)

錬金術 (中公文庫) 文庫 – 2014/7/23
吉田光邦 著 (著)

鉛や錫などから黄金を創り出そうと試みた錬金術師たち。

見果てぬ夢を追い続けた彼らの探究を、現代人は単なる愚行の歴史として一笑に付すことができるだろうか。

奇想天外なエピソードを交えつつ、東西の錬金術の諸相を紹介し、そこに見出される魔術的思考と近代科学精神の萌芽を検討する。

初刊から半世紀、先駆的名著の文庫化。

Amazonの内容紹介

この本の初版は、1963年に出版されました。
著者、吉田 光邦氏は、日本の科学史家。京都大学名誉教授。専門は科学技術史。
もうお亡くなりになられましたが、この本は中国、西洋、日本の魔法と錬金術について読みやすく書かれています。

現代でも、若返りのサプリ、健康になるサプリやドリンクがたくさんありますね。
そんなサプリの元祖が不老長寿の妙薬です。

古代の人々がそんな薬を追い求め、探究し、人体実験をした結果が現代の科学なのです。

・中国の説話、劉安と八人の仙人

「第一部
仙術と哲学の混沌 中国」

から、面白そうな部分をご紹介します。

・ワイナン王、劉安(りゅうあん)
(難しい漢字は、カタカナにしました。)

紀元前1世紀の中国、漢の文帝の時代に、ワイナン王であった劉安(りゅうあん)という者がいた。

彼は漢の黄帝の孫にあたり、王族の1人である。

学問の研究に熱心だったが、その対象は当時の知識人の中心テーマであった儒学だけではなく、異端とされる占いや魔術などにも及んでいた。

儒学の中に『易経』という占いのテキストがあって、その中では占いがもっぱら論じられている。

占いはどこまでも人間の倫理や道徳、または国家の政治に関する道徳哲学的な原理を示すものであった。

劉安が好んだ占卜(せんぼく)はそうした高踏的な、哲学的なものではない。

むしろもっと現実的、実際的なものであった。
彼はやがて異端の学である魔術の類に熱中するようになる。

王としての富と地位を利用して、彼は多くの占卜に優れた者や、魔術師たちを集め始めた。

彼の招請に応じて、ワイナンの地に集まった占卜者や魔術師は数千人にも渡したと言われる。
どれも当時、各地で優れた能力を持つことで名高い連中であった。

劉安はこのような人々を集めて、何を中心の命題として求めたのだろうか。
彼が求め願ったのは、「延年、長生、不老の道」であった。

まことに不老長寿は古代からの人間の共通の願望であった。
いつまでも老いず、青年のような若々しさを保ちつつ長生すること・・・それが安の願いであった。

・八人の仙人の出現

ある日のことである。
八人の老人が劉安の住む御殿の門前に立って案内を求めた。
八人ともヒゲも髪も眉も真っ白に輝くばかりである。
取り次ぎに出た門番は、老人たちが王の劉安に面会を求めたのに対して答えた。

「わが王は確かに不老長生の道を求めておられる。
しかしお見受けするところ、あなた方はもうずいぶんのご老体のようだ。
元気もあまりおもちにならないらしい。
それで不老長生の道を王に説こうと言われるのは、ちと不似合いではないか」

老人たちは哄笑した。
「私どもは、こちらの王がすぐれた学者を絶えず探し求められていると聞いてやってきたのだ。
古来の賢人は、どんな人からも何かの才能を見つけ出し、その才能を重視することによって人を集め、食客として養っていたものだ。
見かけの姿だけでそう簡単に判断してはいけない。
私どもをとにかく王に会わせるが良い。

もし王の求めるものと、私どもの能力とが一致しなかったら、私どもはすぐに立ち去るから心配することはない。
見かけが若々しいものだけが術を知っているとし、老人はダメだと考えるのは少し軽率な考え方だ。
私どもだってまだまだ若いのだから」

言いも終わらぬうちに、八人の老人の姿はたちまち変じて、14、5歳の少年になってしまった。
頬は桃のように紅い。

門番はびっくりして王のところへ知らせに駆けつけた。
さてこそ、真の魔術、不老長生の仙人となる仙術の士の入来である。

王は靴もはかないで飛び出して迎え、すぐさま八人を御殿の内に招いて、謹んで香を焚いて礼拝し、自分が不老長生を始めとする多くの術を学び求めていた年来の宿望を述べる。
八人はいつの間にかまた老人の姿に復していた。

【狩野常信 黄安仙人図】

・仙術の7つの種類

老人たちは威厳を持って王に告げた。
「我々八人は皆異なった能力を持っている。
お前は一体どんな力を持ちたいと思うのか」

そしてそれぞれの能力を語った。
この言葉から当時の人の要求していた術の内容を推測できる。

それによると、まず

第一は風を起こし、雲霧を好みの時刻に起し、地に線を描けばそれが河となり、土をひとつまみ置くと巨大な山岳になる術である。

第二はどんな高山でもたちまちに崩してみせ、どんなに底が深い泉でもその源を塞ぎ止めることができ、虎豹のような猛獣も自由に手玉に取り、コウ竜の類を呼び寄せることもできるし、鬼神を自由に使うことができる。

第三は、自由に姿や形を変え、立てば消え去り、座ればまた出現し、大軍を見えなくするし、白日の昼もすぐ暗くしてみせることができる。

第四は、雲に乗って虚空を飛びまわり、海の上も自由に歩行し、入る隙間もない部屋にも自由に出入りし、一瞬に千里を行く。

第五は、火に入っても焼けず、水に入っても濡れず、刀や弓で斬られたり射られたりしても傷つかず、厳冬のさなかでも寒くなく、酷暑の時に陽にさらされていても、汗も出ない。

第六は、どんなものでも自由に変化させることができる。
鳥獣草木、どんなものでもすぐできるし、山や川を移し動かすこともできる。
家や部屋を移動させることもできる。

第七は、泥のようにみえるものを煮て金に変えるし、鉛から銀を作り出すことができる。

八種の石を練り合わせて作った薬を服用することによって、空を飛び、雲や竜に乗って天上の世界に行くことができる。

こうしたものが、当時、術とされたものであった。

ここに見られる第一から第六の術は、超自然的、超現実的な能力を持つ術である。
自然を越え、現実を変える力を自分のものとすることであった。

ひとつまみの土をも高山となし、その高山もまた思いのままに崩すことができると言う超現実的な能力を持つことであった。
目に見えない鬼神を手下に使い、竜虎をも召し寄せることのできる能力、そうしたオールマイティーの力を持つことであった。

それはほとんどの人間に常に共通な欲望であり、その欲望の達成のための能力が求められたわけである。

そして第七の術こそが、いわゆる錬金術に相当するわけである。
泥を金にし、鉛を銀にすること、また八種の石から作った薬で天上の極楽境に到達すること、それこそ人生最高の望みであり、境地である事は言うまでもない。

その手段を獲得し、その世界に足した者が、すなわち中国で言う神仙なのである。

安はその八人に日夜学び、ついに、これらの術に関するテキストを授けられた。
『玉丹経』といい36巻あったという。

以上は『神仙伝』という書に記されている説話である。
『神仙伝』は、各種の仙術の中心的なテキストとして今も伝えられている
『抱朴子(ほうぼくし)』の著者、葛洪 (かっこう、4世紀の人)によって書かれた。

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いやあ、面白いですね~ ヽ(´∀`)ノ

仙人や超能力はおとぎ話の世界だけではありません。
錬金術は、中国でも盛んに研究されていたのです。

その研究から、火薬や薬品などが発明されました。

 

女道士の昇天、仙女となる。
に続きます。

この記事はHAPPYリマのスピリチュアルノートの記事として書かれたものをリライトしました。

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