『死後の意識状態』を体験し、今生の心境を顧みる ~ふぁで~

  • 2020年1月18日
  • 2020年1月19日
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ここ、”WIZARD909”の仲間である天同さんは
いろいろな意識を人にダウンロードして体験させることができる。

本人は『芸』のひとつのように言うが
ダウンロードを体験する側からすると
かなり不思議である。

まさかの
『死んだときの意識状態』をダウンロード

ここで気を付けてほしいのは
『死後の世界の情報』ではなく
あくまで今の現実世界にいる状態で
『死後の意識状態』を体験したということである。

なんだかややこしいだろうか?

実際私の過去の経験でいう『死後』にまつまるものでは
ヒプノセラピーで受けた”過去生退行催眠”であった。

これは今の人生を生きているつもりの
今の意識状態で
過去生や中間生を見てくるものだ。

今回のは、ざっくり言えばこれの逆。

”死後の意識状態で
今の自分が生きているつもりの人生を見る”というもの。

正直、こればかりは
全ての経験のベースとなる『意識状態』が『死後の状態』なので
本当に『死んでいた時の意識状態の記憶』がないと
なかなか分かってはもらえない経験だ。

まあしかし
ダウンロード作業はいとも簡単に進められる。

ポイポイと、何か入れられて
「はい、入りました」と言われて始まっているのだから
受ける側は相変わらず不思議だ。

実際どうだったかと言うと…

まず最初は
”自分、眠いのかな?”と思うようなけだるさ。

そして何となく、目をつむってしまう瞼の重さ。

気が付くと
『泥のように眠る』ときの得体の知れない感覚。

恐らく
この瞬間の私のホルモンバランスをチェックすることができれば
GABAあたりが大量に出ていたのではないだろうか?

とにかくやる気なしの無気力。
すべてどうでもいい。
ハッキリ言って、放っておいてくれ。

考えは流れてくるが、気にならない。

一緒にいたリマさんが
いろいろ話しかけてみてくれるが
応えるのもダルい。

朝、まだ目覚まし時計が鳴る前
私が寝ぼけている間に
よく夫がその日の予定など色々話しかけるのだが
アレと同じかんじにしか聞こえない。

後で振り返ると
「ではまたおやすみ」とでも応えてやりたいところだが
しかしこのときにはそんな発想すらない。

身体自体も力が入らない。
背中も丸まり、多分だらしなく見えたことだろう。
もっともこのときは、まったく気にしていなかったが。

とっても静かで、ストレスフリー。
なーんにもなくしていられる。
超脱力~。

もうこの世の事で、何か気になるものなんて
ひとつも思い出せない。
誰もいない。
ずっと続くような安らかさ。

この経験自体の時間の長さは
多分3分位だったのではないだろうか?

とにかく休まったのは事実で
まるで急速充電だ。

考えに何もエネルギーが必要なかったせいか
身体が完全に元気さをとりもどしたようで
突然身体が動きたがった。

活動が極端に減った意識と
充電完了した身体に
乖離が出来たような感覚だった。

身体がイライラを発している感じになった。

不快さが生じ
「もういいです」と言葉を発し
元にもどしてもらった。

顔を上げると
そこはインドカレー屋。

そういえば
カレーのプレート待ちの間に
ちょっとダウンロードしてもらったのだった。

通常の私であれば
南インド料理が食べられるお店に来て
ドーサとバターミルクを待っていたら
もう少し落ち着かないだろうに
『死の意識』を経験中は
一度も食べ物を気にしなかったとは!?

振り返って考えると

生きているときには気になるものが
死んだ後は気にならなくなるということは
死んだ後は
生きているときのような
心の反応があまりないということだ。

これでは次の人生を設定するときに
執着が働かないから
死後の意識状態から決めたら
ロクでもない設定をやりそうだ。

ましてやあんな意識状態で
自分、死後解脱に挑みます」とは
ならないだろう。

生きているときにしか頑張れないというのは
本当だ。

そして、生きているときの記憶が
ときどき流れてくるということは
出来るだけ今のうちに
自分のもっている記憶を
健康的にしておかないといけないのでは?

またこの件については
考察を深めてみる機会を作ろうと思う。

 

 

続きはこちらの記事になります。
どうぞご覧ください!

死後の意識状態を経験した後の考察 ~ふぁで~

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